○○だろう or ○○かも知れない、どちらの発想が好ましい?

昨日職場で面倒を見ているシステムがトラブっていると連絡を受けて、調べたが障害の原因は人為的なものだった。
サーバが調子悪いからと、土曜に稼働していないサーバに環境を移したとのことだった。
以前クラスタ化していて、稼働環境と待機環境があったのだが、遠い昔に本番稼働環境を1本化していて使用していなかったものがあり、「構成は同じはずだから、切り替えても問題は無いと認識している」とのことだった。

GODDAMN!! と話を聞くまでは少々怒っていた。
自分で問題起こしておいて、障害が出たから「対応をお願いします」なんて言うのはどういう神経をしているのやら、もう呆れて怒る気にもならなかった。
依頼人はいつも丸投げと言う傾向が強い御仁なので、何をどういう風にやったのかわからなかったが、面倒なので質問して確認もしないで、先方がやったことなので必要な処置をすぐに指示したが、グズグズ言っていて中々要領を得ない。

結果的には旧稼働環境から必要なものを指示してコピーさせ、変更が必要な箇所などは全部こちらで対応したが、何故「問題ない」と言う認識になったのか理解出来ない。
自分に取って都合の良い材料だけを集めて、「○○だろう」と言う結論を出してしまう発想が原因かなと考える。
先入観や思い込みをもとに判断すると、目の前にある現実を受け入れることが出来ないから、「○○かも知れない」と言う風に引いた目で考えて意思決定をしないと、容易に判断を誤ってしまう気がする。

また、「○○かも知れない」と言う風に思っていれば、見落としがあったところで次の手を打つのも早いと思うんだがどうだろう?