知る者と知らぬ者の相互認識

知る者にとって、自分の知っていることは大部分の人がそのことを知っていると思いがちだし、知らない者の存在や知らないと言うこと事態を認識しにくいのだと思う。
逆もまた然りで、知らない者は知っている状態と言うのが想像できないし、自分がそもそも知らないと言うことにさえ自覚できない。
そこにコミュニケーションの障壁の一つがあって、それによって対立が生まれやすいように思う。
互いを知ればこそ、無用な対立を避けるための案も考えることが出来ると思うし、対立を望まないもの同士なら、妥協できるところへとお互いに歩み寄る行動に移るのではないかと思うが、どうなんだろう?

このところスッカリハマっているTwitterを見ていると、知る者も知らぬ者も自らの思いや考えをオープンにすることで、相互に認識することが出来るように思う。
Twitterの何が面白いのか?」と言う問いの答えの一つはそこにあるように思えてきたけど、実際のところそこまで考えなくても、もっとシンプルに感覚的に「楽しい」と感じるから、参加している人は続けるのだろうし、楽しくないと感じる人は去っていくだろう。

やってもみないで、「何が面白いのかわからない」なんてことを言っている人は、存在することを知り、それを知らないことを自覚したのだから、そこから一歩を踏み出してみて欲しいですネ